2021年2月の話題

 ロンドンを襲った過去の伝染病被害


新型コロナウィルスの被害は1年以上を経てまだまだ油断ならない。治療薬がなく、予防のワクチンもようやく開発されたが製造が追いつかず、ひたすら感染防止のために外出や他の人との接触を避けて閉じこもるばかりである。人類は過去にもっとひどい生命にかかわる伝染病被害に遭い、乗り越えて来た。ロンドンの歴史を振り返ってみよう。
 有名なのは1348年の大流行である。黒死病と恐れらえた大陸から襲来したペストで、シティの人口の2/3が死亡した。猛威は翌年まで続き、ホームズとワトソンが初めて出会った聖バーソロミュ―病院の前のスミスフィールドの広場に大きな病死体廃棄坑を掘り、約5万人分の死体が埋められた。死体からの感染を防ぐため、葬式や墓地への埋葬は禁じられ、鶏インフルエンザやウィルスにかかった豚の殺処分をする光景をTVで見るが、これと同じ処理法である。1374年にも二度目の大流行があり、14世紀中に少なくとも6回を数えた。
 当時はベスト菌は発見されておらず、効果的な治療法もなかった。疫病による人口減少は、すぐに勤め口を求めた国内からの移住者とフランス・オランダ等大陸からの渡来者と宗教弾圧から逃れるユダヤ人等渡来者で埋まった。しかし、シティ東部のホワイトチャペルやテムズ川沿いの港湾労働者の住む過密地区の環境劣化をもたらしている。臭いふんぷんの狭い裏路地、汚泥だまりとなった川、三部屋しかない一軒家に30~40人が暮らす貧民街、無蓋の下水が街路の真ん中を流れ、窓から捨てられた前夜の糞尿が流れる等、ロンドンに目を覆うばかりの貧民地区が出現した。
 1551年には流行性発汗熱病、1603年にもペスト発生、1665年のペスト大流行とくり返され伝染病に見舞われている。ある意味で、1666年のロンドン大火は、貧民街のみならず伝染病も焼き払う結果となった。しかしシティの復旧には抜本的な都市改造案がいくつか提案されたが実現しなかった。その後も1688年に天然痘が大流行し、次いでコレラにも見舞われた。いずれもの感染症も新型コロナウィルスよりも重症で、根治は医学の進歩と市街地の改造、衛生思想の充実、上下水道の整備を待たなければならなかった。