浅間が突如噴火する。
〝小諸出て見よ 浅間の山に 今朝も三筋の煙立つ〟と民謡「小諸馬子唄」に唄われているが、浅間山は今も噴煙を上げる活火山である。有史以来何回もの大噴火を繰り返している。 ホームズ像が建つ追分から山を望むと南側山腹にハート形の爆裂口の跡が見える。昔に山腹噴火があり、大規模な火砕流が流れ下った跡である。これに限らず山麓市町村には過去の大噴火の跡が各所見られる。小諸なる古城を訪れると、浅間山から流れ下り、下った土砂がつもり、その後水流によって削られた深い谷に守られた要害の地に築かれている。過去の噴火によって形成された地形から山麓にいくつも見られる。追分自身が火砕流の上に通じていた中山道の宿場であった。 東に当たる旧軽井沢は、中山道軽井沢宿であった所であるが、噴火による熱い火山弾が降り注ぎ、宿場町が消失したとの記録もある。北側にある鬼押出しは山頂から溶岩が流れ固まった所である。また北軽井沢には鎌原神社が残るが、この参拝道の石段から火砕流の下敷きとなって死亡した二人の人骨が発見されている。二人とも女性で、老母を背負って安全な高台の神社に逃れようとした途中で火砕流に襲われたものと考えられている。 明治に、現東京大学のお雇い学者として来日した英国人教授が、活火山の浅間山の話を聞いて軽井沢を訪れ、浅間山に登り火口を見学した記録がある。 当時は鉱山を見つけ産業を振興するために地学の教授を招聘したのであるが、英国には火山はなくよほど珍しかったのであろう。初めて観た活火山を論文にまとめ学会誌に投稿し、浅間火山と軽井沢は一躍世界で有名になった。 その浅間山が8月7日深夜に突然噴火した。噴煙が火口から1800m以上吹きあがった模様を備え付けの監視カメラが観測している。 浅間山の観測の歴史は古いが、この日の噴火は何らの前兆も観測されておらず、被害も全くなかった。ホームズ像を背負って避難するような場面にはならずに済んだ。 追分から望まれる旧山腹噴火の爆裂口、底の岩が赤いのが少し気がかりであるが、再度の大規模な山腹噴火があれば。追分は火砕流に埋め尽くされ、ホームズ像を背負って逃げる場所もなく、最後の挨拶をするいとまもないだろう。 毎年よく拝んでおくこととしよう。