8月の話題
延原謙別荘があった軽井沢
ホームズ像を軽井沢追分に建てた時は、雑誌「FOCUS」に掲載されるなど注目を浴びたが。その後は忘れ去られ、町の観光パンフにも載らなくなってしまった。
そこで関西支部では、追分フォーラムを開催する度に、地元で行事のPRと共に延原謙の広報を重ねた。次第次第にFM軽井沢放送局、地元のローカル新聞社などの理解が進み、町内の観光パンフにもホームズ像が掲載されるようになった。
観光的知名度と共に、いやそれ以上に大切なのは文化的意味である。ホームズ物語60編を日本で初めて全訳したのが延原謙である。昭和26年に月曜書房からホームズ全集13巻を発行した。有識者からは評価を受けたが、延原謙自身は校正が不十分であったなどと不満を持っていた。
続いて新潮社から昭和28年にスタートした文庫版のホームズ全集が出版されている。ただし延原謙自身は、月曜書房版について、ミスプリントが多いなどと不満を漏らしている。その意味は〆切にも追われたようで自分の翻訳が速成であったので、推敲の時間が十分でなかったようである。見直すといろいろ気になる個所がみつかったのであろう。新潮社版は校正の時間も十二分に与えてくれ、「自分では完全だと自惚れている」と自讃している。事実発行以来半世紀を経て100刷以上にも達する大ベストセラーズである。
新潮文庫の原稿料が入って懐が豊かになったからかどうかわからないが、延原謙は追分の油屋から遠くない場所に100万円で別送を建てた。そして玄関口に「ホームズ庵」との表札を掲げた。それまでも毎年夏には暑い東京から涼しい軽井沢追分を訪れ、旧中山道追分宿時代から続いている油屋旅館の離れに滞在して、翻訳など文筆に励んでいた。新潮文庫版も、事前に涼しい追分で翻訳し推敲を重ねたものであろう。いよいよ軽井沢追分と延原謙は切っても切れない因縁の地なのである。