2023年3月の話題

41年目の関西支部

 関西支部は、初期の全国大会に関西から松下了平、清水武彦、津田昌信さんらが出席して顔を合わせ、小林司さんからも「クラブの事務局は東京に置くが、集会のためいちいち関西から時間も費用も使ってやって来なくとも、関西で同好の士が寄ってホームズを語られたい」とすすめられ、大会出席の関西関係者や友人・知人約80名に連絡したのが初めである。第1回仏滅会は1982年1月31日に開催し出席者は22名であった。
 JSHC設立の1977年に入会された方として故林茂秀氏、故南谷樹一郎氏、2年目の1978年入会者に前記故津田氏、3年目の1979年入会者に大川一夫氏、中嶋顕氏、故松下了平氏、田村智子氏、故清水武彦氏、渡辺利枝子氏、増市徹氏の名がある。田村氏と増市氏は当時大学生であった。
 以後充実した会合を重ね、去る1月31日から設立41年目に入ったのである。まさによく続いたものである。
 初期のメンバーは多士済々であるが、その中から記憶に残る方を紙数の許す範囲で紹介するする。関西支部会員でJSHC最古参の林茂秀氏は謹厳な方でずっと会計を担当された。南谷樹一郎氏は一大コレクターで、ホームズと名の付くものは見つけ次第購入された。特に逸品は、会社員時代の海外勤務で取引先の工場の入口にホームズの図柄の足ふきマットを見つけ、会社と交渉の上入手されて持ち帰られた。おそらく日本に二つとないコレクションであるが、大会でオークションに出したところ、どなたか落札されて現在もお持ちと考えるが、退蔵せずに時には来歴を含めて公表してもらいたいものである。前記津田氏は大阪梅田でパブを経営され、ロンドンのパブSHを訪ねて内外装を模倣されているが、本業はダーツ協会のお偉方であった。松下氏は関西支部の実質的設立者で、初期の運営に力を尽くされた。また軽井沢追分にホームズ像を建立するアイディアの発案者でもある。
 清水氏は京都市の経済局長を勤められた高級官僚である。長沼弘毅氏を例に引くまでもなく、今日の政治家、行政マンも趣味を豊かにし、文化的センスもお持ちになり、我々会員と共に文化・教養を身につけていただきたいものである。その他まさに関西支部は多士済々、充実した活動が続いている。