WEJ6000ページに達する
昭和56年12月13日に大阪梅田の弥生会館で、22名の出席のもとに初会合を行って発足した関西支部は、昭和57年1月31日に会報の第1巻第1号通巻1号を発刊した。会報の名称は、現在と同じWEST END JOURNALと決定していたが、例会の名称が初会合まで決まっていなかった。事件簿に唯一日本の名称として「正倉院」が登場するところから、何かこれをもじった名前にしたいと願う会員も居り、しばらく未定であったが、第1回の会場探しに苦労した中で、仏滅の日は結婚式やお祝いの会を開く者がいないため会場が取りやすいということで自然に仏滅の日に開くことが多くなり、昭和58年度はすべて仏滅の日の開催となっていた。そこで誰言うことなく仏滅会の名称が定着したとの経緯がある。 紙面が6000ページに達した557号(2024年3月5日発行)には上記第1号の紙面が縮小コピーされて3面に掲載されている。当時はB4版タテ型ビラ形式であったため紙面では文字がすくなくなっているが、題字のデザインは第1号からずっと変わっていない。 4面には通巻第50号である第9巻第2号(1987年2月11日付)がやはり縮小コピーで1面が掲載されている。記念すべき第58号の1ページには岸川利枝子さんの「ホリデイ・インの謎」が掲載されている。また国会図書館に全号を献本している旨の記事もあり、全巻がそろっているので、欠号のある人は閲覧できるし、我が国におけるホームズの文化活動の歴史を知ることができる世界唯一の資料となっている。 次に、557号に第17巻第11号である通巻100号の1面が掲載されている。発行は1991年12月1日である。この時代になると現在と同じB5版で発行されていたので紙面の見やすくなった。1面には「祝WEJ100号」として、木常昏々さんから堀江珠喜さんまで22名による記事と寄稿が掲載され、24ページ建てとなっている。そしてこの557号の12面が6000ページに達したのである。非営利、ボランティアで運営されている趣味の文化団体の会報としては、大記録ではあるまいか。